高校卒業後、介護福祉士になるべく専門学校に進学‼️
新潟にあるデカイ専門学校ではなく、あえて少人数で学べる加茂にあった学校に、東区から通勤。
年齢もバラバラな愉快なクラスメートが揃った。笑
私はいわゆる、専門デビューの女です!
まだ、そんな時代だったのです…
1年目は、あちこち短期派遣みたいな感じで働き、2年目に就職した老人保健施設は、10年務めた
建ったばっかの新しい施設の立ち上げ職員でしたの。同期の職員は、未だに勤めてる人もいるみたいだよ、素晴らしいよね。
夜勤のある勤務をしていたけど、長男妊娠を機にデイサービスに移動
夜勤ありの勤務が長かったからデイサービスに移動するのは、当時の私的には左遷っちくな出来事で、受け入れるまでに戸惑った。
いざ、働いてみるとめっちゃ楽しくて、天職か?くらい生き生き働いたわ。笑
やってみなきゃ人生わからん!
確か当分、夜勤は免除されるんだけど勤務時間がバラバラだし、違う環境で働くのが不安だった。
何度も上司にかけあって、デイサービスに残れるようお願いしたけど、聞き入れてもらえず…
それを機に、思い切って退職。
アロマは活かせなかったけど、ベビーマッサージは講師として、西蒲区の自宅で教室を開いたんです、私!
でも土地柄なのか、やり方なのか、なかなか集客ができない。さらに、ベビマの講師はテンション上げないとできなくてね…今思えば無理してたから、続かなかったよね
うちの旦那は、自営業だから事務とかも手伝ったりしたけど、ジッとして数字眺めてるのはムリ!そちらも続きませんでした…
結局、介護の道に戻りました
この時期くらいから、色んな出会いがあって西蒲区岩室でイベント主催するようになったのかな。
育児、仕事、イベントの両立のはじまりはじまり〜
イベントは、毎月1回開催していた
それを5年継続して、昨年引退しました。笑
毎月1回開催を5年って…5年で60回イベント開催していたのね、めちゃ凄い私!
このイベント主催をキッカケに、「クルールにいがた版」の元編集長と知り合った
私自身、イベントを通じて「もっと西蒲区にママに役立つ情報を発信したい」と思っていて、「フリーペーパー作りたい」と思っていたのよ。
そんな時に、「一緒に働かない?」と声をかけてもらって、ウハウハで退職
まだ面接の日も決まってないし、就職できるかも不確かなのに、とっとと辞めました。笑
そんな未知の世界に、勢いだけで飛び込んだのが36歳の時やね
編集というの仕事は、今まで体験してこなかった世界ばっかりで、毎日新鮮だった
入力作業が多かったから、最初は辛かった時期もあったけど、なんか頑張れた。
でも辛いことも、悲しいことも、苦しいこともたくさんあった
いっぱい悩んで、いっぱい泣いたわ。笑
もちろん楽しいことも、嬉しいこともたくさんあったよ
そして何より、私がやりたい事が少しずつ見えてきてる。
この収穫は、今ココにいなければできなかったことだと思う!
長男を産んでから今まで、「もっと子どもと一緒にいたい」と思って、勤務形態をパートにしてみたり、起業してみたり、色々してきたけど結局、私は働いてるのが好きだって、分かった
仕事して、子どもと過ごす時間がない…のはいけないことだと思っていた。ママなんだから、子どもといなきゃいけない、みたいな。
もちろん、子どもとの時間を確保して一緒にいるのも、大切なのかもしれない。
でも、私自身が楽しんで仕事してる姿を見せてれば子どもは大丈夫だと思う
根拠のない自信。笑
やりたくない仕事を嫌々してる姿みたら、そりゃ子どもは怒るから、何かしら反応するよね。
子どもは、ママを幸せにするために側にいてくれてるわけだから!
逆に、仕事より子どもとの時間を大切にしたい人もいるよね
そういう人は、仕事しないでとことん子どもと過ごしたらいいと思う。ってか、それでいいのだよ!
そういうママ、私は本当に尊敬してるから
「仕事」って、外に出て会社勤めのイメージだけど、「子育て」も立派な「仕事」だと私は思う
私は、子育てしてるより働いてるほうが、どんなに楽なことか…
だから、子育ては私にとっては仕事以上の重労働!笑
だから、どっちのママがいいも悪いもなくて、どっちのママも花マルオッケーってこと
あなたの人生は、どんな選択をしようとも「正しい」。誰かと比べる必要も、誰かのように生きる必要も全くない。笑
私の人生は、私しか幸せにできない
最近、私がブツブツ呟いてる言葉!
子どもでもなく、会社でもなく、他人でも誰でもない
舞台「あなた」の主人公は、あなただけだからね