今流行りの「自分と向き合う」とか「自分を愛する」って言葉
分かる人には分かる世界だけど、分からない人には全く分からない世界だ。笑
現に1年前の私は、その言葉を聞いて「はっ⁉️」って感じだった
3人の子育てをしながら、働き、そしてイベントをこなすという、すんばらしい事をしていたにもかかわらず、全くもって自信がなかった
当時は、「私なんて」の精神なもんで、どんなに人に評価されようと自分自身が自分を評価してなかったから、受け入れらんなかったのよ。
「まだまだ、こんなもんじゃない」と、褒美も与えず、ケツを叩き続けていた。
だから、キラキラみえる人のトコに行っては、「自信ってどうしたらつきますか?」と、マジであちこち行ったし、自分と向き合うようなセッションにも参加した
そこで言われた忘れられない言葉が
「自信は、自分を信じること」。
その時の私には理解できていなかったな…自分を信じる⁈って、どういうこと?
だって「自信はどうしたらつくのか」そんな質問してる時点で、「自信とは外にあるもの」と捉えれていたのが、よく分かる。笑
ブログを読んで気になった言葉は、スクリーンショットで残して、手帳に書き込むようにした
昨年の手帳は、仕事のスケジュールも書けないくらい、こんなことがビッシリ書いてあった。笑
それでよく目にするようになったのが、他人は「自分の鏡」…は⁉️
だけどね。笑
あの人があんなこと言うのも、あの人にあんなことされるのも、全部ぜ〜んぶ自分せい
…は⁈
あの人が言ってるんだから、あの人が悪いでしょ?
あの人があんなことしたんだから、あの人が悪いでしょ?
私は悪くない。悪いのは全部、あの人じゃない⁈
うん、だよね。笑
分かる‼️
私もそうやって、嫌な事とか人のせいにしてきたもん。笑
だから、最初は理解できなかったの…
でも、私には有難いことに、まさに「私の鏡」となるゆうちゃんとの出会いがあった。
これがどうして他人ではなく自分のことになるのか、よく解説してもらってた…今もだけど。笑
「どうせ私なんて」と思っていたら、そう思わされる出来事が起きる…「やっぱりね」と。
だから今起きているその出来事は、一体私のどんな世界を見せてくれているのか…
誰かがゲームで例えていた。
マリオのゲームをしてるとしたら、私たちはマリオではなく、ゲーマー側の視点で今起きてることを観察するといいって。
ある人が、ある事に執着していてね。
それ手放したら楽になるのになって、ずっと思ってた。
人が思ってる事なんて、他人の私が分かる訳ないのよ
執着してるかしてないかなんて、本人にしか分からない!
だから、私はその人が「執着してる」と勝手に思い込んでいただけにすぎない。
その事は実は…私が「執着していて、それを手放せない」でいたってこと
手放したら楽になるって、自分で分かっているのに、手放せなくて握りしめてるものがあった…笑
つもりが多いのですよ。
つもりだから、また後々こうやって気づく出来事がやってくる。
気づくまで何度もね!
だから、友だちのアドバイスで
「〇〇(執着してるもの)じゃなくていい」
と口に出して言ってみた
なんかね〜、スーッと楽になる感じ。笑
人にしてる心配は、うちに秘めた自分のことを自分が心配してるってことよ
あ、心配は執着だからね。笑
あなたが今、人を通して受けている感情、それ本当に人に対する感情ですか?