24歳で結婚が決まり、25歳で長男出産
結婚式には、すでにお腹には宿っていて、ま〜でき婚風だけど、結婚決まってからできたから、でき婚ではないと今でも言い張る。笑
まぁ、喘息持ちなのにゼィゼィいいながら、吸っていることもあったから、子どもが辞めさせてくれたんだよね。笑
介護の職場に勤務していたから、泣きながら上司に報告
初めてだから、怖くて不安がこみあげてきたんだよね。
出産予定日に陣痛がきて、普通分娩だったけど、吸引?しなきゃで立会いしていた旦那、部屋から出された。笑
おっぱいの出がよくなくて、ミルクと併用
旦那実家に同居で、義父さんや義弟もいたから、おっぱいやる時が、1番嫌だった…
おっぱいの時は部屋を出てもらったり、後ろ向いてもらったりしたけど気疲れ半端ない。
そのストレスが、おっぱいの出を悪くしていたな。笑
保育園の行事(運動会、お遊戯会など)は一切参加しなかったな〜
泣いてばっかりで、ステージの隅にいたり、いつも先生に抱っこされていた。
なんで、うちの子ばっかり…と思っていた
ビデオ撮ったり、席取りしにいく楽しみがなかった。毎回「またか…」って感じ。
小学校に入学してからは、いたって普通。
登校してたし、運動会も参加してた…うん、普通だった
しいて言うなら、登校班が苦手で歩いて登校できず、送っていた時期もあった…そのくらいかな。
中学入学してからも、普通にチャリ乗って、友だちと登校してた。
…いつくらいからかな、たまに腹痛で、トイレから出てこれなくて休む日があった。
でも次の日には、ちゃんと行ってたんだ。
腹痛の薬飲ませたり、アロマぬったりしたけど、効果なく…毎朝、トイレの前で話すも出てこれず…
腹痛の時点で、もう長男の体は限界を迎え、SOSを発していた。
そんなことに気づかない私は「学校にいけない」長男を責めた、で「行かせられない」私も責めた。
普通の子って、そもそもなんだ?
学校にいくのは当たり前っていう社会一般の「べき」にどっぷり浸かっていた。
まぁ悲劇のヒロインになりたかったんだ、その時の私は…
自分自身と向き合うようになったのをキッカケに、私の人生は私のもの。子どもの人生は、子どものもの。
そう割り切れるようになった。
そう割り切れないと、子離れできない親と言われるのかな?
友だちも、いつでもできる‼️
正直、この歳になって小中学校の友達とまだ仲良くしてるか?って言われたら…ほんの数人いるかいないか、だわ!笑
この春で中学3年になる長男。
行ける時は昼間の数時間登校したり、夕方先生に会いに行ったり、週1は中学に行ってる
そして、修学旅行には行く。笑
ってか、学校行ってないのに修学旅行には行けるって…まぁ、ただもんではない訳ですよ、うちの子は!
長男は「いけない」んじゃない、「いかない」んだってね。笑
中1からほぼ勉強してないから、受験できるのか分かりませんが、本人は行く…と言っている
一般社会に言わされているのか?笑
まぁ、何にせよ私ができることは、信じて見守ることのみ‼️
勉強しなかった、学校行かなかった、友だちいない…とか、私のことじゃないから知ったことじゃない。
自分がど〜したいか、何をしたいのか、自分で感じない限り、周りがどんなに吠えても聞こえない
人生は、いつでもやり直せる
本人が、やりたいと思ったその時に、スッと手を差し伸べられる親でありたい。
親が子を育てるんじゃないよ。
「子がいるから親になる」親になれるのは、子がいるから。
子がいなきゃ、親にはなれない。
私たち親は、子に親にしてもらうんだ
私たち親こそが、子に育てられてるんだよね。笑
めっちゃイケメンで、めっちゃ優しく思いやりがある、兄妹仲良く、素直で本当はめっちゃおもしろ人間であることは、間違いない
外に出ると、いい子ちゃんの仮面をつけるからね。笑
ということは、そんな素晴らしい子には、素晴らしい未来しかないってこと
私は彼のその素晴らしい未来を、ただ信じているだけ。それだけなんだな。