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さんじのおやッつ「内藤亜希子」

内藤 亜希子 

1982年生まれ 

長野県出身、新潟市在住

長男(10)、次男(7)、三男(3)

 

暗黒時代のはじまり

私の暗黒時代は、20歳頃から、三男を妊娠するくらいまでかな。特に、20代は暗黒すぎた…笑

 

幼い頃から、歌を歌ったり、ピアノを弾いたりと音楽が好きで、「音楽で食ってくなら教師」と安定を求め、親も喜ばせるべく新潟大学に進学🏫

 

サークルとバイトと飲み会に明け暮れ、卒業時に単位が足りなくて教員免許が取れなかったっていうガーン

 

音楽しかないと思ってきたし、目標を達成できなかったことも、親に心配かけるようなこともしてこなかったから、すごく大きな挫折だった叫び

 

その後は、やりたい仕事もみつからず、コンビニで深夜まで働いたり、個人的にピアノ講師やら音楽教室の受付をしていた🎹

 

当時付き合っていたパパとは喧嘩ばかりで、結婚が決まってもパパの家族とは全く肌が合わず・・・チーン

 

長い暗黒時代のはじまりはじまり~音譜

 

 

結婚・妊娠・仕事

結婚して、長男の妊娠中~産後は、とてもとても不安で、「妊娠しているのに幸せじゃない」と思ってた真顔

 

正直、出産もあんまり楽しみじゃなかったし・・・。

 

産後のことも、イメージが沸かず、初めての子だから「不安」とか「怖い」なんて感情もあったけど、素直に言えなかったギザギザ

 

おかげでパパには、毎日八つ当たりキョロキョロ

 

周りからは、優しいパパでうらやましいとか言われたけど、腹だたしいだけだったわ・・・笑

 

「私はこんなに大変なのにっ」と、無言のアピールしまくってたキョロキョロ

 

そんな長男の出産は、55時間ハッ

 

2晩陣痛で眠れず、体力をがっつり消耗した末に、赤ちゃんの世話が始まり、毎日毎日泣いて過ごした🛏

 

今思えば産後鬱だったな、ありゃゲッソリ

 

子育てが不安で仕方なく、早く子どもから離れたくて、生後4カ月で保育園に預け、「子どもがいてもできる」と誘われた保険営業に就職コインたち

 

でも、自分がいいと思えない物を頼まれてもいない人に勧めることが苦痛で仕方なかったガーン

 

でも、辞めると言い出せず2年も続け、半ば鬱になりかけ出社できなくなり、逃げるように辞めたガーン

 

仕事も苦痛、家に帰っても苦痛。

 

家に帰れず、車で寝たこともあったな🚗

 

今思うと、プライドが高くて、「やめたい」「できない」が言えなさすぎた笑い泣き

 

その後は、短時間のパートとか責任のなさそうな仕事を選んで、出産のたびに辞め、また次のパート・・という感じで働いていたうずまき

 

その中で、たまたま特別支援学校の仕事に関わり、やりがいを感じた!

 

障害を持った子どもと関わる仕事がしたい。

 

この仕事が、キッカケで保育士の資格をとろうと思い、ひとつの転機になったチュー

 

 

同居

結婚してから、しばらくはアパート暮らし男の子

 

同居は、長男が1歳半くらいの時家

今振り返ると、1番大変な時期に同居を始めたんだな・・・笑

 

義理家族は長男への子育てに熱心で、愛情だとはわかっていてもその干渉の多さにモヤモヤしていたしょんぼり

 

そのうち、だんだん監視されているような気持ちになり、気を抜けない毎日雷 

 

次男ができると、それはさらに加熱した炎

 

長男の時は、アパート暮らしで誰の目も気にすることなく気ままに過ごしていたが、次男の時はそんな環境だったから、つわりも我慢して家事をしていた筋肉

 

大きなお腹で、家族全員分の洗濯を干したり大量の買い物をしたり…産後は、退院してすぐ家事をしていたおばけくん

 

「頼れない自分全開」。

 

全部やれって誰に言われたわけでもないけど、やめられないし、やめたらきっと嫌われるし、嫌われたくなかったぐすん

 

それに、こんな頑張ってる自分をきっと子どもたちは見ていてくれてる・・・な~んて思ってたニヤニヤ

今思えばアホみたい。笑

 

そんな時、ふっと・・・「私は誰のために、こんなに一生懸命子どもを育ててるんだっけ?」と、思ったら沸々と怒りが込みあげてきたムキーッ

 

その怒りの矛先は・・・パパと子どもに向いてしまっていたよねアセアセ

 

 

暗黒時代を抜け出したキッカケ

間違いなく「同居解消」が大きなキッカケだったアセアセ

 

三男坊を妊娠してから

今までため込んでいた怒りが一気に爆発💣

 

「この家でまた子育てをするのは無理」

「家ではとにかく安らぎたい」

「自由になりたい」

「もう顔もみたくない」

と何カ月も、パパに怒りをぶつけ続けてたもやもや

 

「ヤクザみたい」と言われたこともあったな・・・笑

 

家事を全放棄し、仕事を終え子どもたちを迎えに行き、そのまま夕飯を食べに行って、寝る時間まで帰らない生活をしばらくしていたガーン

とにかく、あの家にいたくなかった。

  

 

パパとは、これからも一緒にいたかったけど、別れを切り出される覚悟で「1人で家を出る」と言ったタラー

 

でもパパは、私と一緒にいることを選んでくれた(^ー^)(^ー^)。

そこは、今でもこれからも感謝しかないピンクハート

 

家を建てることが決まったものの完成するまでも我慢ができず、2カ月だけアパートに引っ越した日本国旗

 

それを決断してくれたのはパパだったびっくり

 

私の方が罪悪感たっぷりで、夜逃げみたいに引っ越して、人に話せず、ひっそりと暮らしていたアパート

 

 

自分と向き合うこと

そんなこんなで感情を表現せざるを得なくなって、たくさん怒ってたくさん泣いたえーん

 

おかげで、「こうしたい」という欲求がはっきり分かるようになったキラキラ

 

食べたいもの、行きたいところを明確に感じるようになって、できるだけその欲求に従うように過ごした口笛

 

正しい情報を探すことをやめて、「自分がどうしたいか」を優先させたグッ

 

家を建てたから、産後は実家の母にきてもらったおすましペガサス

今までなら、頼むことすらできなかったのに、今回は「私の世話をしに、仕事休んできて」って頼めたびっくり

 

母は、退院後1週間来てくれることになった。

でもその後は、なんとかしなくちゃな・・・と思っていたら、急にパパの勤めていた会社が倒産びっくり

 

出産の2日後・・あまりのタイミングにビックリビックリマーク

だって、望んだ通りになったんだもんキラキラ

 

パパと母が、上の子たちのことも家事も全てやってくれて、私がしたのは授乳だけほにゅうびん

 

その後も2カ月ほど家にいたパパは、授乳以外何でもできるパパになったのだ。笑

 

さらに、この期間で夫婦関係も大きくかわった乙女のトキメキ

 

といっても変わったのは私で、「不機嫌なときは素直に不機嫌だという」「してほしいことは具体的に伝える」ことが徐々にできるようになってきたからだおねがい

 

 

以前は、「言われればするのに」という旦那に猛烈に腹が立っていたムキー

 

「言わなくてもしろよ!」と言い返していた。笑

 

私から頼むのが無性に悔しかったのは、プライドが高すぎたからニヤリ

 

でも言えばやってくれるんだったら、言えばいいだけ・・・この人なんでも叶えてくれるかも!?と思ったら段々その悔しさも消えていったうずまき

 

あとはもう、自分を許すことにしたチョキ

何をしても許すところから・・・。

 

自分が許さないで、誰が私を許してくれるの?というか、他人に許してもらったところで、なんの価値があるの?

 

それこそが他人軸だった・・・誰かに許しを乞うって!笑

 

暗黒時代の仕事や同居、夫婦関係を通して、私がどんだけ他人の目や評価を重視して生きてきたかを実感目

 

「どうしたら褒めてもらえるのか」ばかりを考えて行動していたんだ、私。

そりゃ、満たされないわけだゲラゲラ

 

そこに気づいてから、自分の「どうしたい?」「どう感じた?」を大切に、自分と対話するようになったニコニコ

 

 

自分を知りたくなって行動しはじめると、たくさんの新しい出会いがあった流れ星

 

自分を知るためのツールに興味が出始めて、ヨガやセミナー、占いなどいろんな人に会いに行ったクローバー

 

すると今まで分からなかった「1人で新しい場所に行くことに抵抗がない」「文章を書くことがすき」など、自分の特性や魅力に気づくことができてきた唇

 

間違いなく、三男坊は私を解放して、自分と向き合う機会を与えるために来てくれたんだと思っているふんわりウイング

 

 

暗黒時代を乗り越えて見えたもの

 

子育てって「正解」がないからみんな苦しむあせる

 

そこには、世間体や常識みたいなものもたくさん絡んでいて、「自分がどうしたいか」が一番後回しにされてしまいがちな世界なのかもしれないドクロ

 

外からの正解を押しつけられてイライラしたり、間違いが許されない気がして、キリキリしたりするDASH!

 

「ママは、みんな子どものことが好き、愛してる。何でも許してあげられる包容力がある」「女性はみんな母性がある」とか、誰が言ったか分からない神話に振り回される真顔

 

そこに自分が当てはまらないと、「私は、だめな母親だ」と自分を攻め込むハッ

 

「いい母親」「理想の母親」を追いかけて、毎日イライラしてるんだよねガーン

 

私は、とってもプライド高くて、弱い自分を認めたくなかったチーン

 

でもある時、「こんなに頑張ってきた自分をズタズタに傷つけて、追い込んで。なんて自分に失礼なことをしてきたんだろう」って、泣きながら自分に謝った!!

 

そしたら、自然と感謝の思いが沸いてきたひらめき電球

 

 

これからの私

 

私はずっと、

仕事は大変なものだし、子育ては苦労するもの

だと思っていたDASH!

 

大変な思いをするからこそ成長する・・・って笑い泣き

 

なんなら

苦労の先に幸せがあると思ってた滝汗

 

でも最近、それは私の思い込みだったと思えるようになってきたキラキラ

 

仕事は、楽しくていいし(楽したいは違うよ!笑)、好きなことをしていいし、子育てに苦労はいらない。

 

今の仕事は、大変だけど苦労とは違うし、とても充実している音譜

 

子どもたちは、健康でまったく苦労してないし、旦那と2人で協力してやれているOK

 

素晴らしい友だちがいて、困った時は助けてくれる花束

 

とにかく

なんとかなっている‼️

 

「なんとかなる」が、夫婦で共有できているのも、とても幸せだピンクハート

 

これからもっともっと

楽しさを追求したい。

 

自分が楽しいと思えているかを

大切にしていきたい。

 

もっと楽しんで、ふざけて、いい加減になりたい口笛

 

悩まなくても、うまくいくんだから!笑

 

「すばらしい自分(いらないプライド)」をもっと手放して、軽やかに生きたいふんわりウイング

 

子どもたちが、「早く大人になりたい」と、思える大人でいたい流れ星

 

「大人って楽しそうでズルい」そう思われるくらい楽しんでいきたいちゅー

 

 

ママからママへ伝えたい

 

本気で自分と向き合ってほしい‼️

 

「やりたくないこと」をちゃんと見つけて、それを辞める勇気を持ってほしいクローバー

 

仕事がら、「この場合、どうしたらいい(どれが正解)ですか?」って聞いてくるママが本当に多い・・・。

 

でもね

間違っても大丈夫OK

 

自分で決めていいんだよ。

子どもの意に反してもいいんだよ。

自分の気分でも自分の好みでもいいんだよ。

 

ママが「こうしよう」と思って行動したことは、すべて正解だから指輪

 

自分で決断したことじゃないことは、人のせいにしたくなる。

 

私も散々人のせいにしてきたからよく分かるニヤリ

それに、間違えるのは、すごく怖いし、恥ずかしいガーン

 

でも、「やりたくないこと」をやり続けることは、自分への「虐待」だと思う。

 

それは、私の大切な周りの人たちのことも傷つけることになるんだタラー

 

「やるのが当たり前」と思ってること、一度見直してみるといいOK

 

その中で「やりたくないこと」を辞めてみて、「なんか違う?」と思ったら、またやればいい。

 

「やりたくないこと」だけど「やる」って決めたなら、それもそれでよし‼️

 

やった自分を大絶賛拍手

 

私は、自分の高すぎるプライドを手放すために暗黒時代があったけど、そのお陰で

前より、とても軽やかに生きている赤薔薇

 

正直まだ、私の中で許せてない事や許せない人はいるけど、今の「私」になるために、必要だったんだと思えてるおねがい

 

※使用した写真は、全て次男くんが撮影したものです!

 


夫婦デュオ「さんじのおやッつ」
として、子連れで活動中✨

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