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I am Love

今日は
女神塾の日でした。

前回2人が卒業しちゃったから
今日は今までで一番人数少なかった!

途中
卒業した香織ちゃんが顔を出しに来てくれました。

最近
Facebookで写真をあげると
香織ちゃんに認識されるから
あえてのツーショット撮ってみた。笑

野田玲奈ちゃんのイベントを
通して色んな気づきをしていたからか
今日は余白があって
「学んだ〜」という感じ。

「話す」より「聞く」日だったな。
曽我さんが話していて
印象に残ったのは
現代の子供たちについてかな。

私たちは
コップに足りない水を満たそうと
頑張る世代。

コップに水を満たせば
愛される
認められる
と思って生きてきた。

でも現代っ子は
すでにコップは満たされている世代。

頑張っても頑張らなくてもいい。

平成もそうだけど
令和生まれの子たちにしてみたら
私らはもうひと昔もふた昔も前の
人間であり古いデータなわけ。

私たちからしてみたら
明治の方々が現代っ子にしたら
私らなわけ。
しかも
平成から令和へと時代が変わり
令和は
「この愛をどう広げていくか」がテーマな時代になるそう。

「ある」をどう生きていくか。

そう
だから過去に捕らわれて
「ない」を埋めようと生きることは
すでに時代遅れ。

だから
親と子ではデータが古すぎて
我々、親世代が
「子供のため」という名目で
頑張ってやっていることは
どこまで言っても「自分のため」でしかないわけです。

子供の意思を尊重してやってることなら、話は別だけどね。
あとは
なんで、その話になったのか
記憶がないんだけど…笑

私もそうだったけど
I want to be loved
(私は愛されたい)
そう思って生きてきた。

しかし本当は
I am Love
(私は愛である)
なのです。

だから
「私は愛されたい」では
愛が「ない」前提なのです。

自分の外にあるものに
左右されてしまう。

さっき話した
コップを満たそうとする行為こそが
I want to be loved。
でも
I am Love
で生きていたら
自分の外にあるものに左右されず
増えも減りもしない。

なくならないもの
あるもの

だって私こそが
「愛」なのだから。

みんなが、そう設定変更したら
どんな愛溢れる世界が広がることか。

「愛」は何かと引き換えなければ
貰えるものでもないし
見返りを求めるものでもない。

みんな幼少期
お母さんに幸せになってほしくて
お母さんに愛されたくて
お母さんに認められたくて
「ない」を必死に埋めてきたから
その名残が残ってるだけ。

I want to be loved
で生きていくのも
I am Love
で生きていくのも
選択していけるのは「あなた」だけなんだから。